明生コラム
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東京都墨田区緑1-2-10
モスクワにはいくつも立派な劇場がある。
もっとも有名な劇場はいわずもがなのボリショイ劇場。よく知られているように「ボリショイ」は「大きい」という意味で、ボリショイ劇場は「大劇場」。対応する形で、「マーリーテアトル=小劇場」もボリショイのすぐそばにある。マーリーテアトルは主に演劇をやっているようで私は入ったことがない。
ボリショイ劇場には新館と本館があり、私の赴任当初、本館はリノベーション中だったので、新館のみの営業だった。赴任後1年半くらいして本館がこけら落としがあり、それからは多いときは週2回のペースで本館に通った。
オペラやバレエは、「スタニスラフスキーとネミローヴィチ・ダンチェンコ・モスクワ音楽劇場」(以後「音楽劇場」)というやたらに長い名前の劇場にも、よく通った。ここは、ボリショイ劇場と同じレベルのオペラやバレエが、ボリショイ劇場よりはるかに安い費用で見られる穴場。
コンサートを聞くのには、モスクワ音楽院の大ホールによく通った。1901年に開設された老舗の劇場で、ホールの壁には、チャイコフスキーを始め、ロシアの有名な音楽家のレリーフが飾ってある。ここで、仙台フィルハーモニー管弦楽団が震災の後、公演を行った。その折、演奏された唱歌の「故郷(ふるさと)」には深く心を動かされた。コンサートで落涙した唯一無二の経験である。
それから、もう一つ、あまり有名ではないかもしれないが、オペレッタ劇場のことも書いておく。ここも19世紀末に建てられた由緒正しい建物で、オペラよりは敷居が低いミュージカルを上演する。現在のHPを見たら、私も見た「アンナ・カレーニナ」をまだやってる。登場人物たちの華麗な踊り、迫力ある歌唱、派手な舞台装置と舞台転換の速さなどで舞台に引き込まれてしまい、2時間があっという間に過ぎた。
ボリショイ劇場や音楽劇場ではバレエやオペラのいろいろな公演を見た。
オペラでは、チャイコフスキーの「エフゲーニ・オネーギン」、ムソルグスキーの「ボリス・ゴドノフ」、グリンカの「ルスランとリュドミラ」、ボロディンの「イーゴリ公」、ショスタコービチの「ムツェンスク郡のマクベス夫人」が特に印象に残っている。
チャイコフスキーの「エフゲーニ・オネーギン」はプーシキンの同名の長編の物語詩に基づく。
主人公エフゲーニ・オネーギンはサンクトペテルブルク社交界で遊蕩生活を送っていたが無為に飽き、虚無的になっている。彼は、田舎の領地に隠棲することにし、そこでレンスキーという若い詩人と友人になる。オネーギンはレンスキーに誘われ、地主貴族ラーリン家を訪れる。ラーリン家の長女タチヤーナはオネーギンに恋するが拒絶される。一方レンスキーの婚約者であるタチヤーナの妹オリガは、レンスキーをからかうため、オネーギンに気があるようにふるまい、オネーギンもこれに乗る。これにレンスキーは怒り、オネーギンに決闘を申し込む。オネーギンはこれを受け、レンスキーを射殺する。オリガは自分の気まぐれがもたらした重大な結果に直面し、立ち竦む。
数年後、ペテルブルクの社交界でオネーギンは公爵夫人となっていたタチヤーナと再会する。オネーギンは田舎娘から垢抜けた貴婦人に変身していたタチヤーナに恋するが、タチヤーナはこれを冷たく拒絶する。
このオペラでは、1幕2場で歌われる「村娘たちの合唱」と、決闘の場でレンスキーが歌う、「あなたはどこへ行ってしまったか」が特に好きだ。
ムソルグスキーの「ボリス・ゴドノフ」は、16世紀から17世紀にかけてのロシアの動乱時代を描いた重厚な歴史劇。
グリンカの「ルスランとリュドミラ」は、誘拐されたお姫様を騎士たちが助けに行くというてっぱんネタのお話。
有名な序曲が、これからの非日常への没入を予言し、気分を高揚させる。
これら3つの作品の原作はすべてプーシキンであるのはすごい。
ボロディンの「イーゴリ公」は、韃靼人の捕虜となったイーゴリ公らと、韃靼人の王との友情物語。韃靼人の王女とロシア人の王子の恋愛もある。
ロシアは、モンゴルやイスラムと長く対立し、しばしば戦争が起きた。このオペラにはそういう背景がある。もっとも有名なのは、女奴隷たちの望郷の想いを歌う美しい旋律と、韃靼人の兵士たちが歌う勇壮な王への賛歌が交錯する「韃靼人の踊り」。これは何度見ても飽きない。この作品のすばらしさは、ロシア人にとって不倶戴天の敵である韃靼人たちを、血の通った人間として描いていること。コスモポリタン、ボロディンの面目躍如たるものがある。この作品を、たとえば、ベトナム戦争を描いた傑作映画「地獄の黙示録」におけるベトナム人の描かれ方と比べると、ボロディンの先進性が光る。
ショスタコービチの「ムツェンスク郡のマクベス夫人」は、いわば、悪女の純愛物語。登場人物が有象無象ばかりで誰にも感情移入できないのは成瀬巳喜男の傑作「浮雲」と同じ。ただ、「浮雲」では、打算で生きている主人公の男女が、お互いへの愛においては純粋であったのに対し、「ムツェンスク郡のマクベス夫人」において、男と共謀して、自分の夫を遺産目的で殺害した女はその男を純粋に愛したのに対し、男の女に対する気持ちは実にいい加減であった。結局、女は自殺する。
ボリショイ劇場では、バレエもたくさん見た。一番たくさん見たのはチャイコフスキーの「くるみ割り人形」。これは、ロシア各地でも見たし、日本に帰ってからも見に行くので20回近く見ていると思う。日本では年末、第九を聞きに行くが、ロシアでは「くるみ割り人形」を見に行くのが、年中行事になっている。どうしてかというとこれがクリスマスの話だから。
私がバレエに開眼したのは、モスクワで、それも40代半ばを過ぎてからだった。カザフスタンのアルマティからモスクワに出張した折に、アフター5にボリショイ劇場(新館しかやってなかった)にでも行ってみようということで、行ったら、たまたま「くるみ割り人形」をやっていた。それがとても面白くて夢中になった。それまでは、バレエなどというものは、中年のオヤジが見るものではないと固く信じていた。
クリスマスの夜、シュタールバウム家ではクリスマスパーティーが開かれる。パーティーでシュタールバウム家の娘クララは名付け親のドロッセルマイヤーからくるみ割り人形をもらう。パーティーの後、クララはクリスマスツリーの下で寝る。時計が12時を打つと、クララの体がどんどん縮んでいく(もちろん生身の人間が縮むことはないので、これは後ろのクリスマスツリーが大きくなっていくことで表される)。そこへネズミの大群が押し寄せ、くるみ割り人形が指揮するおもちゃの兵隊と戦う。最後にくるみ割り人形はネズミの王様を倒す。すると、くるみ割り人形は凛々しい王子様に変身する。王子はクララをお菓子の国に招待する。そこでクララはみなの歓待を受ける。
朝になってクララは目を覚まし、かたわらのくるみ割り人形をやさしく抱きしめる。典型的な夢オチだが、ま、いっか。
アルマティに帰ってから、何回かバレエを見に行ったが、バレエ観劇が本格化したのは、モスクワに赴任してからだった。
「白鳥の湖」は、ロマンティシズム、アクロバチックな動き、敏捷性など、バレエのすべての要素が詰まった傑作であるが、天邪鬼なので、何回も見に行ったわけではない。全体の雰囲気は「ジゼル」が好きだった。「海賊」や「ドンキホーテ」は、華やかな舞台を楽しむ。ハチャトリアンの「スパルタカス」やプロコフィエフの「イワン雷帝」は、勇壮な男性の群舞が中心で、普通のバレエと全然違う。日本では、男性のダンサーをたくさん集めるのが不可能なので、これらの作品は上演できないと聞いた。
「バヤデルカ」で、主人公の男がアヘンを吸って幻覚の世界に陥るシーンがある。ここでは、舞台全体が青白く薄暗くなり、奥の左右に分かれた階段から、「バヤデルカ(舞姫)」たちが登場する。それが、際限なく続いた。もう終わるかと思って見るとまだ出てくる。また、もう終わるかと思って見るとまだ出てくる。それが、数回続いた。こういうことも日本の舞台ではありえないだろう。
ハチャトリアンの「ガヤネー」や、アサフィエフの「パリの炎」はどちらも社会主義時代に作られたプロパガンダ作品。「ガヤネー」は集団農場の長の娘ガヤネーが資本主義のスパイを摘発する、というような話。ちなみに、有名な「剣の舞」は「ガヤネー」の後ろの方で出てくる。「パリの炎」は、フランス革命をダシにしてロシアの10月革命を称賛する作品。ただ、バレエではセリフがあるわけではないので、プロパガンダ性は弱まり、どちらも楽しめる。帰国後、東京文化会館でのキエフバレエ団の「パリの炎」の公演を見に行ったが、ガラガラだった。社会主義プロパガンダと見なされる作品はあまり人気がないのかもしれない。
最後に、Mayerlingについて書く。これは、オーストリアの皇太子と男爵令嬢の心中物語。予備知識を持たずに行ったので、また、感傷的なロマンチックなお話かと思ったら、これが全然違う。プッチーニのオペラとか、多くのバレエ作品は、様式化された悲劇性を楽しむようなところがあるので、感傷やロマンティシズムでもよかったのだが、Mayerlingはそういうものが全くない。Wikiに「甘ったるい感傷やロマンティシズムを排除して、複雑な政治情勢と人間関係が及ぼした心理的抑圧を暴き出し、悲劇的事件の核心に迫」った、とあるが、まさにその通りである。この作品は私がロシアで見た多くのバレエと内容的にまったく異なるので、強く印象に残っている。
おまけでもう一つ。プロコフィエフのバレエ「シンデレラ」で、シンデレラの意地悪なお姉さん役のバレリーナは自分の役を本当に楽しそうに演じる。観客が失笑してしまうほどである。