私が住んでいたアルマティから北東へ450キロくらい行ったところにSarkandという小さな町がある。ここ出身の学生がいて、帰郷するときいっしょに来ないかと誘われた。もちろん喜んで誘いに乗った。Sarkandまでは車で5時間くらいかかった。5月のステップは1年でもっとも美しい。緑の草原に真っ赤な罌粟(けし)花がどこまでも咲いている。そういう景色がずっと続く。
サルカントは地域の行政の中心であるが人口2万の小都市である。産業は、石油と農業、それにワイン作り。私の学生の父親は地域の総合病院の院長、母親は高校の教員である。私の学生の実家は、冬の寒さに備えた厚い漆喰壁の一軒家だった。私はそこに2日泊めてもらうことになった。
着いた翌日は確か戦勝記念日でお祭りだった。この地方出身の女性兵士についての素人芝居を見た。対独戦で英雄的な活躍をし、祖国に身を捧げた、てなストーリーだった。主人公の女の子がちょっと恥ずかしそうに兵士を演じているのがとてもかわいかった。
それから、草競馬を見に行った。5kmのコースを3周するが、所要時間はだいたい10分だと言われた。ふんふんと聞いていたがちょっと暗算してみたら、それだと馬の時速は90kmになってしまう。そりゃあないだろ、と思って町の人に聞き返したら、すっごく気分を害したので深くは追求できなかった。
旧ソビエトの各地には5階建ての団地風の建物がある。私もアルマティでそういうところに住んでいた。アルマティの場合は、10月中旬から4月中旬まで、地域暖房で暖かいお湯が循環しており、外がマイナス20度になってもうちの中はプラス20度以上でたいへん快適である。
サルカントの街でも同じような建物を見た。ところが様子が違う。建物のほとんどの窓がレンガで塞がれており、人が住んでいると思えるのはほんの数軒しかない。それらの部屋からは煙突が突き出している。
学生にどうしてあんなふうになっているのかと尋ねた。学生によると、ソビエト時代はサルカントでも地域暖房が実施されており、こうした「団地」にも温水が循環していた。ソビエトが潰れて、サルカントのインフラはめちゃくちゃになり、地域暖房もなくなった。「団地」に住んでいた人たちの中で余裕のある人はみんな一軒家に引っ越してしまい、残っているのは経済的な余力のない老人たちばかりだそうだ。ソビエト時代に政治的な自由はなかったが、インフラの整備などの面ではけっこうきちんとやっていたんだな、と思った。
私の学生の実家はソビエト時代の、何の飾りっ気もない一軒家だった。ソビエト時代には上下水道が完備していたが、独立後、どちらもだめになってしまったそうだ。というわけでトイレは久しぶりのポットン便所。2万が、井戸に頼り、生活排水を垂れ流して生活しているのか?
人口130万人のアルマティでも、また、人口30万の首都のアスタナでも一部の地域では共同井戸に頼った生活が続いているのだから、驚くには当たらないか。
夕食は、このあたりのご馳走、ビシュパルマク。これは、餃子の皮の上に羊などの肉を置いて蒸したもの。お母さんの心遣いはたいへんうれしかったが、かすかに糞のにおいが残っていて、私はあまり食べられなかった。
この家には、自家用のロシア式サウナがあり、私はそれを初体験することになった。
学生のお父さんと一緒にサウナに入る。ストーブみたいな台の上に大きい石がいくつも置いてある。入ったとたん気付いたのは、中がとんでもなく熱いこと。からからに乾いているが、あまりの熱気で、鼻で息すると鼻の奥がヒリヒリする。やむをえず口で息する。汗が噴き出すが、すぐ蒸発してしまう。日本でもサウナに入ったことはあるが、カザフスタンのものに比べれば、日本のサウナなんか冷蔵庫みたいなものだ。
そのころはロシア語で「熱いです」をなんというかもわからず、お父さんに必死に目で訴える、「熱いです。なんとかしてください。」と。ところがお父さんは気持ちよさそうに瞑目し、私の必死の訴えには全く気付かない。サウナ室の外に出て行ってしまえばいいのだが、そこは私も日本人、相手の好意を裏切るのが怖くて、踏み切れない。ただ、じっと我慢する。
しばらくその状態が続いた後、お父さんが目を開き、私に何か言う。熱いか、と聞いたのだろうと思い、大きく何度もうなずく。すると、お父さんはバケツからひしゃくで水を汲み取り、それを、焼けた石に思いっきりぶっ掛けた。「話が違う!」と思った瞬間、ジューッという音が響き、サウナ室は蒸気で満たされ、一寸先も見えなくなる。それでもお父さんは遠慮会釈なく、石に水をかけ続けているのが音でわかる。熱い。肌がひりつくほど熱い。それでも私は我慢した。私を歓迎するためにいろいろな企画をしてくれているお父さんを傷つけたくないと思ったからだ。
しばらくして蒸気が収まると私は疲労困憊していて、動けないほどだった。すると、お父さんが、それまで座っていた木の台に寝ろという。何かと思ったが、その通りにする。お父さんは、隅においてあった葉っぱ付きの木の枝を取ると、それをバケツの中の水につけ、私の背中を強く叩き始めた。「な…なんだ、これは!」と跳ね起きようと思った。ところが、これがなんとも言えず気持ちいい。自分が何か怪しい道へ行ってしまうような気がして、気持ちを引き戻そうと抵抗するのだが、気持ちいいものは気持ちいい。私は、台の上で、とろけるような快感に浸った。